参加者の声
参加学生スタッフ
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後藤 葵衣
北海道大学
他者の生き方を知り、
自分と向き合える場所。
高校生は、大人や社会とは少し距離があって、学校というコミュニティにいる最後の時期。 このタイミングで、自分と他者の生き方を知り、受け止め、向き合う機会を作れることが、この授業の価値なのではないでしょうか。 私が参加したのは、友人に誘われて教育系NPO法人のイベントに参加したことがきっかけです。もともと自分から積極的に活動するタイプではなかったのですが、思ったよりも大学生活に時間の余裕があったことや、大学外の活動に積極的に参加する友人たちから刺激を受けたこともあって、イベントに参加することになりました。そして、会場にいた先輩に「うちに来てみない?」と声をかけてもらったのが、私が参加したきっかけです。 この授業では、生徒に対しても、大学生同士でも、普段話さないような深い対話をします。自分が過去に経験したことや、その延長線上にある未来について、自分をさらけ出して語ります。本音のぶつけ合いを通して自分や他者の生き方を知っていく中で、今までにない感情が生まれてきます。「そんな生き方もあるんだ」「自分ならどうするだろう?」「どうしてそう思うんだろう?」…。その感情に向き合うことが、自分を見つめる機会になるんです。 中学生の頃まで、私は周囲に合わせるタイプで、勉強も部活も交友関係も、周りの空気を読んで選択してきました。例えば3年間続けたバスケットボール部ですら、友達が入部するという理由で入部を決意しました。それでも、始めたからには全力で部活も勉強も頑張りました。周りの期待に応えるために全力で頑張ることが当時の私のモットーだったからです。でも、本当にそれで良いのか疑うことはありました。部活の最後の大会で、自分のミスが原因で敗退になったとき、自分のミスに責任を持てなかったんです。なぜなら、自分の意思で始めた部活ではなかったし、周囲の期待のために続けていた活動だったからです。 このように自分の意思を持てず、本気や本音で誰かと語り合うことができない中学時代を過ごしていました。そんな私が高校生になったとき、価値観を大きく変えるきっかけになった先輩と出会いました。 周囲の期待のために生きる私とは対照的に、先輩は好きなことだけを自分の意思で選択できる人でした。毎日全力で好きなことに向き合っていく先輩を見ているうちに、私は自分の生き方に違和感を感じはじめました。先輩を知ることが、自分が何者なのかを考えるきっかけとなったのです。例えば、自分の好きなことは何かを考えたとき、小さい頃から絵本が好きで、今でも読書をしていることに気づきました。そのような積み重ねがあって、少しずつ自分なりの意思が芽生えるようになりました。今通っている大学も、自分の意思で選んだ進路です。 私はこの授業において、高校生にとっての当時の先輩のような存在になれたらいいなと思いながら活動しています。当時の私のように、周りに流されやすい生徒や、好きなことが見つからない生徒の未来に、小さな変化を起こすきっかけを作れたらいいなと思っています。子供から大人に変わる過程でもある高校生活は「自分はどんな人間なのか?」「将来、何をやりたいのか?」「自分は何者なのか?」を考える、ある意味「自分探し」の時期なのかもしれません。でも、大人や社会とは少し距離があって、学校というコミュニティにいる最後の時期。このタイミングで、自分と他者の生き方を知り、受け止め、向き合う機会を作れることが、この授業の価値なのではないでしょうか。
参加学生スタッフ

西村 聡真
北海道大学
生徒と一緒に悩み、
答えを探しに行ける存在。
僕たちの価値は一緒に悩んで答えを探しにいける存在であることなのではないでしょうか。 大学生は、親や先生と比較するとまだ未熟な存在で、自分なりの正解を探さなくてはならない立場としては高校生と同じです。 だからこそ、高校生と一緒にもがいて、お互いの答え探しをできる存在であることに価値があるのだと思います。 僕のこの授業での活動は、高校時代からの友人に誘われたことがきっかけで始まりました。僕の大学生活はコロナ渦でスタートしたので、新しい出会いや、人との繋がりを持てない状況でした。そんな中で、一緒に活動する大学生同士だけでなく、高校生とも対話ができる活動に興味を持ち、参加することにしました。僕が初めて参加した授業は、札幌市内から約100km離れた町で開催されました。 まず驚いたことは、自分とは異なる境遇の生徒がとても多いことでした。これまで僕は、勉強して良い高校、良い大学に入学することが大切なことなのだという価値観を持っていました。ところが、その町で出会った高校生と対話していると、そもそもそういった価値観が世間の当たり前ではないことに気づかされました。高校卒業後は大学にいかずに就職したり、中には家業を継ぐ生徒もいたのです。世の中には色んな生き方があって、良い大学に進学することだけが正しい選択肢ではないことに気づいた瞬間でした。 また、活動する中で1つ気づいたことがありました。生まれた環境も考え方も全く違うのに、無意識に生徒と高校時代の僕を重ね合わせている自分がいたのです。「やりたいことが分からない」「将来、何をしたら良いのか分からない」といった生徒の悩みは、まさに当時の僕の悩みそのものでした。最終的に大学進学という選択をした僕は、悩んでいる生徒に対して大学に行ってみるという選択肢を与えられたかもしれません。でもこの授業では、選択肢を教えるのではなく、生徒と一緒に悩んでもがくことにこだわる自分がいました。もっと具体的に言うと、高校生にとっての親でも先生でもない、お兄ちゃんのような存在でありたいと考えていました。 悩みを相談したときに、正解に導くことが親や学校の先生の役割で価値なのだと思います。一方、僕たちの価値は一緒に悩んで答えを探しにいける存在であることなのではないでしょうか。大学生は、親や先生と比較するとまだ未熟な存在です。それゆえ、高校生だけでなく自分自身の悩みにすら答えを持てているわけではないのです。でも、自分なりの正解を探さなくてはならない立場としては高校生と同じです。だからこそ、高校生と一緒にもがいて、お互いの答え探しをできる存在であることに価値があるのだと思います。僕も高校生の頃、そんな存在のお兄ちゃんに悩みを聞いてほしかった。そんな気持ちが、今の活動の原動力になっています。
実施校教員

川村雅人 北海道小樽未来創造高等学校
生徒と先生に
変化のきっかけを作る価値。
この授業に参加した先生たちの間では「たった数時間しか共に過ごしていないのに、大学生が生徒の人となりに気づいている。」 「生徒の悩みの本質に辿り着いている。」といった独自の価値が伝わっていることが分かりました。 前任校で毎年この授業が実施されていたことから、もともと存在は知っていました。 この授業で起こる、生徒や先生の内面の変化に惚れ込んだことを受け、現在赴任している高校でも開催しようと動きました。しかし同校では開催経験がなかったため、最初は先生方の賛同を得るのは簡単ではありませんでした。なぜなら、私が感じているような価値が伝わっていなかったからです。 実際、「大学生と高校生が話すって具体的にどういうこと?」「どんな意味があるの?」といった疑問の声もよくあがりましたね。ただ、実際に開催してみると状況が少し変わりました。先生たちの間でも少しずつ変化が起きたのです。この授業に参加した先生たちの間では「たった数時間しか共に過ごしていないのに、大学生が生徒の人となりに気づいている」「生徒の悩みの本質に辿り着いている」といった独自の価値が伝わっていることが分かりました。 何回か参加する中で、この授業の役割は生徒会に似ていると感じるようになりました。本来、生徒は一人の人間として多くの可能性を持っているはずです。だから生徒会という生徒に裁量のある場では、十人十色の個性が解放された活躍を見ることができます。でも、普段の授業ではそうとは限りません。私たち教師が生徒の才能をセーブしてしまっているからか、全員の個性を開花させるのは簡単ではないのです。 生徒のことを何でも知っているからこそ、その子なりの正解を教えたくなるからでしょうか?そんな学校現場に、生徒会的な役割を果たすのがこの授業です。生徒に対しての先入観を全く持たない大学生が、生徒のありのままを見つめて向き合う時間ですよね。過去でも未来でもない今の生徒に向き合ってくれることで、生徒自身で個性を解放できるきっかけが作られると思うのです。 一方で、そのきっかけを次にどう繋げていくかは教師の使命だと考えています。なぜなら、学校教育は短期的な伸びしろではなく長期的にみた視野での成長を支えることが大事だからです。そのために、教師側では生徒が持ち帰ったきっかけをフォローする体制作りを進めています。生徒がどう変わっていくかは未知数ですが、私たち教師が手をかけた分だけ成長として返ってくると信じていますし、こうした取り組みが教師としての在り方も変化させるきっかけになっています。まさに、私がこの授業を好きになった理由である、生徒も先生も変化させるという価値が発揮されていますね。